Game Mediation

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透明な蓋に覆われた世界 『OMORI』

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『OMORI』と言う作品をどう表現しよう。一番有名なのは死やうつ病をテーマとした作品というものだ。またSteamのストアページのタグから取ったのか、2Dサイコホラーとして紹介されることも多い。またコラボしていることも手伝って『Undertale』や『DDLC』に似た作品というむきもある。

 

だが最後の印象に関しては強く反論したい。『OMORI』にはこれらの作品に対して「透明な蓋」がしてあると言う特徴を持つ。ここからは『OMORI』に加えて上記の作品のネタバレを含みながら論じていく。またこの反論を通じて『OMORI』が死やうつ病をテーマとした作品という一見文句のつけようがない表現にも部分的に反論を加えたい。

 

それでは『OMORI』と上記の作品群を隔てる特徴とは何なのか?それは端的に『OMORI』の世界が私たちの世界と完全に隔たっている、というのがそれだ。

 

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例えば『DDLC』は普通のギャルゲーを装ってプレイヤーに近づき、プレイヤーが油断したところを第四の壁を破り襲いかかってくる。あなたがプレイヤーであることを私は知っているとMonikaはプレイヤーに愛を囁き干渉してくる。

 

しかし、『OMORI』はプレイヤーの存在を知らない。キャラクターはまるでプレイヤーの操作無しでも動き続けられるアニメのように振る舞い、画面越しの視線を気にすることなどない。プレイヤーがいなくとも街は動き続け、OMORIは慰めと罰の世界を彷徨い、サニーは独りでに最後の決断をするかのようである。我々プレイヤーはただ物語の続きを見るために、『OMORI』の世界と私たちの世界を隔てる透明な蓋越しにボタンを押し続けるだけなのである。

 

だから『OMORI』の世界は私たちの世界とは完全に独立して成立していると結論付けられる。これは従来の各媒体では当然の事であった。アニメの世界は私たちと別の世界であるというのは当然の前提として異論はなかった。しかし、殊プレイヤーがボタンを押すことなしに進まないゲームというメディアにおいてこの前提は覆されてきている。

 

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タイトルを挙げればきりがないナラティブの潮流を受けて『OMORI』もその一例と目される傾向にある。この作品が死やうつ病という現実的なテーマを持つとすればなおさらである。

 

しかし、先ほど確認した通り『OMORI』の世界はプレイヤーを認識することのない独立した世界だ。それは『OMORI』という作品が死やうつ病をテーマとしているのではなく、『OMORI』の世界に死やうつ病が存在している、ということをも意味する。

 

この差は大きい。20時間ほど『OMORI』の世界をさまよったプレイヤーには実感として残っていることだと思うが、『OMORI』は死やうつ病という苦しさだけが詰め込まれた作品ではない。純粋な戦闘の楽しさ、興味深いロケーション、愉快な仲間たち。これらの体験は決して暗い気配に包まれた表面上のものではない。虚飾のない楽しさがそこには確かにあった。

 

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『OMORI』を現実の世界から独立したものと見ることで、彼らの世界が死やうつ病に支配された世界ではなく、プレイヤーが体験した楽しさをそのまま肯定することができる。ただ世界に死やうつ病が存在するだけで、それらの存在が世界のすべてを決めているわけではない。これが『OMORI』に対して向けられる誤解と、その調停ということでこの記事での主張は尽くした。OMORIは救われなかった(あるいは救われたのかもしれない、エンド次第である)がプレイヤーの体験をも絶望に染める必要は無い。