Game Mediation

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SOMA Individualとしての人間の危うさ

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※ネタバレ前提です

人間の定義というものをどう考えるでしょうか。ホモサピエンスという語はHomo(人)+sapiens(知恵のある)、つまり「知恵のある人」が人間だとしています。他にもホモファーベル(物を作る人)、ホモルーデンス(遊ぶ人)なんていう定義もあります。これらの言葉は動物と異なる人間特有の特徴を捉えて人間を定義づけています。また「個人」つまり一人の人間を指す「Individual」という単語にも人間の定義が現れています。すなわち「in」(不可能)+「divide」(分ける、分割する)で、分割ができない存在こそ1人の人間であるとそういった意味を持ちます。しかし、人間は本当に分割不可能なのでしょうか。そんな疑問を誘うのが今作SOMAです。

SOMAの舞台は遥か未来の海中研究所。そこでは滅びゆく地球に残された人間達の人格をデータ化し、新たなバーチャル空間の中で生き永らえさせるというプロジェクトを行っていた。バーチャル空間と人格データは物理的な外部記憶装置に保存され宇宙に打ち上げられる予定だった。

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完遂直前で頓挫したこの計画を再び遂行するのが本作の主人公「Simon」とゴツイスマホに人格が納められたCatherine。

主人公のSimonも保存されたデータの1つであり、カビの生えたロボットにその魂が封じられています。プレイヤーは2つのシーンで「人間は分割可能である」という本作のメッセージを受け取ることになります。1つ目が下スクリーンショットの場面です。Simonは深海の高水圧に耐えるためのスーツを必要としますがロボットの体には小さすぎて装着できません。そこでキャサリンがもっと細身な新たな体に意識を移すことを提案します。

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結果Simonは意識を移す機械に座った自分を見ることになります。その不気味なロボットはついさっきまでの自分であり、今までお世話になった体です。Simonは驚愕します、まだ息をしていると。彼が座った機械は意識を抜き取って移す装置ではなく、現在の意識をコピーして別の体に移す機械だったのです。意識だけでなく肉体を持った自分が2人存在するという事態になりました。どちらが本物のSimonなのでしょうか、またどちらも本物のSimonと言えるのでしょうか。

もう一つの決定的なシーンは本作の最終盤にあります。人工世界ARKの打ち上げに際してSimonとCatherineの人格データをもARKへと送るということになりました。無事転送が終了したはずなのに彼らはまだ海底で意識を保っています、なぜでしょう。そう、今回も人格の転移ではなく単なるコピー&ペーストだったのです。

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海底に取り残されたSimonもいればARKで美しい人口世界の生活を楽しむSimonもいる。この事態を受けてSimonは「人間は分割可能か」という問題にはっきりと答えを出します。「あれは僕らじゃない!僕らじゃないんだ!」と。

Simonは人間が本来的に分割不可能であると信じていました。だからこそ1度目のコピペにおいても、自分が複製されたという実感は無かった。しかし、2回目の分割、つまり自分が置いていかれる側になった時に初めて不平等を感じ、アレが自分と同じであるはずがないと結論付けたのです。

それではこちらの彼と向こうの彼、いったい何が違うのでしょう。存在する環境や場所?一緒にいる相手?自分の身体?このような途方もない哲学的な疑問を湧き立たせるのがSOMAのゲームプレイ体験です。実況動画では決して得られない当事者としての感覚がこの作品では味わえます。つい先ほどまで操作していた「自分」が眠っている姿を見たときの衝撃は忘れられません。マストプレイです。


ホラーゲームとしても秀逸でしてプレイヤーに怖さに慣れさせる隙を与えません。襲ってくる敵が厳密に何もので、どのような意図があるのかというのが最後まで分からないのです。ホラー(特にゲーム)において「未知」の要素はプレイヤーを怖がらせる最大の要素である、ということを実感させてくれます。また老朽化やらシステムエラーで閉ざされた扉が色んな手順を踏んで開く瞬間は地味ながら確実な爽快感があり楽しい。

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