Game Mediation

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限界の自覚と克服 内省装置としての『The Talos Principle 2』

失敗や挫折は数あれど、その中で意味のあるものは稀だ。失敗に意味が伴ってほしいという思いは、もはや祈りにも似た切実な響きを持つ。

 

意味のある失敗や挫折というのは「できない」という事実を受け止めながら、それでも挑戦を続けた先に、自分の限界を見ることで成立する現象だと思う。失敗や挫折はその過程に限界の自覚という新たな発見があるからこそ、意味のある経験として自分自身に刻まれる。*1

 

以上のように意味のある失敗や挫折が稀なものであるとすれば、その克服や乗り越えはさらに類い稀な経験という事ができる。3Dパズルゲームである『The Talos Principle 2』は挫折とその克服というプロセスを幾度も経験できる恐るべき作品だ。

上述のように一連のプロセスは、実は成立することすら難しいものだ。だがゲームにおいて単に挫折した経験であれば誰にでもいくつか思い当たるだろう。例えば私は『Baba is You』のクリアを断念したし、「Dark Souls」シリーズは全作品積んでいる。

 

『Baba is You』や「Dark Souls」シリーズのクリアを断念した原因が、太刀打ちのできない難易度設定にあることは間違いない。しかし、『The Talos Principle 2』をクリアした今の自分には、どうもこれは難易度の問題だけではない気がしている。そこにはプレイヤーに提示される難しさの、構造の問題とでも言うべきものが潜んでいる。

Steam版のクリア率は8.4%に留まる

『The Talos Principle 2』はプレイヤーに決定的な挫折を経験させながらも、それでもクリアにまでたどり着かせる特別なものがある。私はそれを2つの「失敗」の構造と、その産物にあると考える。

成功に次ぐ失敗の構造

『The Talos Principle 2』は3Dパズルゲームだ。ステージには赤色や青色の光源があり、光を仲介するコネクターを使ってゴールまで光を導くのが主なパズルの解法となる。

画像を見ると複雑そうに見えてしまうが、パズルステージは限られたスペースでシンプルに作られており、パズルを構成する要素とそれに伴う手数の絶対数は非常に少ない。もちろん普通に光を導いてもゴールに届くことはない。5分ほど考え1つの閃きを元に確信をもって配置する。すると

 

「一手足りない……」という事態に陥る。

 

今試した手はどう考えても新しい発想で、これでパズルが解けるはずだった。しかし、現実では一手足りない、光がゴールに届いていないのだ。ここでプレイヤーはこの一手がパズルの作り手の想定の内だったことを理解する。「ここまではできましたね。あともう一ひねりです」と言わんばかりの余裕のセリフが聞こえてくる(日本語吹き替えで)。

 

この複数回の発想の飛躍を想定したパズルの作りこそ『The Talos Principle 2』の「失敗を自覚させる構造」の1つに他ならない。不完全な成功体験をさせた上で、それが真の正解ではないことを突き付け、さらなる一手を求める。成功に次ぐ失敗の構造だ。

失敗を成立させる構造

『The Talos Principle 2』は3Dパズルゲームだ。そう3Dなのだ。

例えば『Baba is You』は論理パズル的な側面が強い。論理パズルにおいて、これが正解だろうという試みを実行することはできるが、それが失敗したときに何が失敗の原因だったのかを、さらに論理的に考える必要がある。それは新たなパズルを解くようなもので、自分の失敗がどのようなものであったのかを理解するために、二重の論理思考が必要とされる。

 

一方で『The Talos Principle 2』は物理パズル的な側面が強い。今作における試行はその結果が失敗であったとしても「どのように失敗したのか」が3Dパズルであるが故に視覚的に表現されることで感覚的に理解できる。つまり1つの試行がちゃんとした失敗として比較的楽に成立するのだ。そして失敗の確かな成立は次の試行につながっていく。

以上の「成功に次ぐ失敗の構造」と「失敗を成立させる構造」の2つの構造によってプレイヤーは、失敗しながらも確実に前に進んでいく。前者の構造は成功と失敗という2つの体験に挟まれることで、ゴールに至らずとも近づいていることを実感させ、後者の構造はそのための選択肢を着実に潰していくことを可能にする。そうした試行錯誤や失敗の積み重ねの先にあるものが、

 

決定的な限界の自覚である

 

小さな前進も手にした。なぜ失敗したのかが理解できた。パズルのギミックの性質も把握した。どんどん前に進んでいる。自分の持てるあらゆる選択肢を試してみた。前に進めなくなってきた。残っている選択肢など、もはやない。解けない。

 

パズルに対する理解の深まりは、次第に己の限界の理解へとつながっていく。自分の持つすべての力を振り絞った結果、解けないという事実が嫌というほど分かる。今の自分のままでは解けないという確信が、確かな失敗の数々によって裏付けられ、自分という人格が持つ先入観まで思考を及ばせる。もはやパズルを離れた内省の領域だ。このような徹底的な限界の自覚が『The Talos Principle 2』の持つ、2つの失敗の構造の産物だ。

解像度の高い限界の自覚

それではなぜ限界を突き付けられたのにもかかわらず、ここで『Baba is You』や「Dark Souls」シリーズのように諦めがつかないのか。そこには2つの失敗の構造がもたらした限界の「解像度の高さ」が関係している。

 

『The Talos Principle 2』は上述の2つの失敗の構造によって、今のプレイヤーの選択肢の中に答えがないことを実感させ、翻ってプレイヤーに新たな発想と自省の必要性を説く。そこには「難しくて解けない」という漠然とした事実ではなく、「新たな発想を生み出す」という進むべき方向が明確に打ち出されている。

 

『The Talos Principle 2』における限界の自覚は確かに行き止まりではあるが、行き止まりを打開する方針自体はプレイヤーに与えられている。だからこそプレイヤーは一歩も動けず佇んでいる間であっても、進み続けることができるし、諦めるという最終手段に手を伸ばす必然性も低くなる。

解ける

結果として立ち尽くしたまま30分、いや1時間考えるかもしれない。Serious Samシリーズの挙動を受け継いだ軽やかな動きで、ストレイフやバニーホップもどきを繰り出し、3D空間で癇癪を表現するかもしれない。

 

そうしてふとした瞬間に先入観は霧散し解法を思いつく。その答えが複雑だったことはただの1度としてない。見方を変える。そんな単純なことがパズルの解法であり、過去の自分にとって最も難しいことだったことが理解される。

 

パズルが解けた瞬間、自分の限界が1つ押し上げられたのを確かに感じる。その後新たなパズルに挑み、自身の新たな限界を突き付けられる。

 

この繰り返しが『The Talos Principle 2』のゲームプレイであり、自身の限界の自覚とその限界の押し上げのプロセスだ。この作品は一見、一部の選民たちに向けられた苦行に思えるかもしれない。しかし、上述の「失敗を成立させる構造」によって、むしろこれまで、なぜクリアできないのか理解できないまま諸作品をリタイアしてきた、自分のような人間にこそ楽しめる作品になっている。

 

また長々書いたせいで時間を要する作品に見えたかもしれないが、以上のプロセスは最長で90分、最短で5分の間に起きることだ。要する時間に対する体験の豊かさも今作の魅力と言える。

失敗も成功も人生の糧だが、『The Talos Principle 2』における解像度の高い限界や失敗の先にある成功が意味するところは、単に1つのパズルを解いた、という事実に留まらない。それは過去の自分を捨て去り、新たな観点から再構築するという劇的なものであり、その過程に私はイニシエーションや学問の類を思った。大げさな表現と思われるかもしれないが、いま、そこ、にいる私にとってはそれが現実だった。

 

そんな経験を幾度となく提供する『The Talos Principle 2』はパズルゲームという枠を飛び出す偉大な内省装置だといっても過言ではない。謎は既に作り終えられ、プレイヤーは孤独に挑むのみ。突き付けられるのは作者の挑戦であると同時に、自身の限界だ。*2

 

本記事は #ゲームとことば アドベントカレンダー2023という企画にかこつけて書いたものです。総勢25人が「○○な人にオススメしたいゲーム」というテーマで文章を書いています。本記事のテーマは「自身の限界を自覚し、その限界を押し上げたい人にオススメしたいゲーム」です

 

*1:そして挫折にカウントされないものは、執拗な挑戦がないゆえにそもそも「失敗していない」取るに足らないものとして処理される。

*2:この記事では直接的に取り上げなかったが、『The Talos Principle 2』はパズル以外にも、哲学的・倫理的な問いに端を発する壮大なストーリーや、絶景が用意されている。特にそのストーリーは今作のパズルを解くというプレイヤーの行為に密接に関連しており、この作品の見逃せない魅力のうちの1つだ。