Game Mediation

PCゲーム、3DCG、哲学など

映画 『96時間』 殺人衝動の発生

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原題『Taken』 人身売買グループによって連れ去られた娘を元CIAの父が助け出す物語。

※ネタバレ有り・おすすめの作品ということもあって未視聴の方には見ていただきたくない。また偏った見解が含まれている可能性があります。

没入

この作品の魅力は本当に数多くあるが、その根底となる舞台は完璧であった。ウェーイなお年頃の娘と、その娘を(本当に)愛してやまない離婚済み、中年、元CIAの(ココ重要である)ダメ親父主人公。元妻に変人扱いされ娘には近づけず大富豪のニューパパは自分とは比べ物にならないほど豪華な娘への誕生日プレゼント。これだけで泣ける。

ここで娘はパリの美術館への旅行を企て(実はU2のおっかけツアー)、その承認を主人公に求める。しぶしぶサインをすると予想通り娘とその友達は人身売買グループにとっつかまる。

父親は名も顔も素性も知らぬグループのボスへ電話越しにこう伝える「俺は強いんだ、殺す」と。そして見事殺すわけだ。ココで舞台の話に戻るが殺すのは「中年溺愛ダメ親父」で殺されるのは「問答無用の絶対悪」である。この構図、実際に体験してみないと分からないのだが主人公は(警察に追われるにもかかわらず)完全な正義であり敵は憎むべき、いやそれ以上に脳みそをぶちまけ四肢も吹っ飛ばし永遠の苦痛を与える拷問を受けさせるべき存在、というのが視聴者の頭に徹底的に刷り込まれる。実際に主人公は暴力性の限りを尽くして敵を殺してくれるわけだから(脳みそや四肢はないが)もう爽快の一言である。

一番重要なのは、その映画自体の暴力性ではなく、それを視聴した我々の暴力性の上昇、いや殺人衝動の発生といっても差し支えないだろう。この没入感こそゲームが目指し未だかつて成しえていないものだ。

【文字起こし】松沢成文議員、参議院の文教科学委員会にて残虐なゲームの規制を求める質問

別にこんな、お堅い話題に触れるつもりは無かったが今回実感したことに基づけばGTA Vなんか目じゃないほどこの映画は(所謂)暴力性が高い代物だ。だから今の僕に言わせれば上記事の議員方、委員会方は(この分野では)無知であると、そうハッキリ言える。暇じゃないおっさん方には厳しいことだと思うが事実だ。だからゲームは規制するなと言いたいわけではない。ただ無知には決めて欲しくない。


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視聴者の暴力の欲求に答えて殺すだけが今作の魅力ではない。当然、主人公は娘を助け出す。没入に没入を重ねた視聴者は分りきった事実であっても「主人公が妻に、娘に、ニューパパに認められた」という事実を心から祝福できたことだろう。あの多幸感は映画を神の視点から見ていたつもりであった視聴者にもかなりの影響を及ぼす。久しぶりに興奮しっぱなしの映画でした。ぜひどうぞ。