Game Mediation

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私が賛否両論の『ニューダンガンロンパV3 みんなのコロシアイ新学期』を否とする理由

ダンガンロンパシリーズのネタバレが含まれます。

 

私はここ3か月ほどで『ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生』『スーパーダンガンロンパ2 さよなら絶望学園』『ダンガンロンパ3 -The End of 希望ヶ峰学園-』そして『ニューダンガンロンパV3 みんなのコロシアイ新学期』をクリアした。

初代ダンガンロンパは本当によくできた作品だった。前時代的な少し不快な言動を見せる主人公には辟易したが、そのプレイヤーと主人公の不一致が最後には解消される演出には素直に感動した。「希望を見出す」という選択がプレイヤーと主人公間で完全に一致した瞬間はフィクションと現実という直接交わらないレイヤーの違いを無視した尊い時間だった。プレイヤーの操作が真の意味でインタラクティブなもの(相互作用)として機能したのは最後の選択であり、それこそプレイヤーがダンガンロンパを小説やアニメではなくゲームという媒体で消費する意義だった。

 

2はそれ以上に好きな作品だ。最後の選択でプレイヤーと主人公がシンクロするのは初代と同じだが、そこに至るまでの演出が非常に実験的かつ効果的だ。プレイヤーにとってゲームとして作られた世界を、今度は主人公に対してゲームの世界だと示す演出は画期的だった。

またキャラクターたちへの思い入れも2が一番強い。冒頭で有象無象としか認識できなかった高校生たちが徐々に愛着のあるキャラクターとして立ってくる感覚は、3のアニメによってより強まった。彼らは初代のキャラとは違って全員生き続けていたのでなおさらだ。

 

そしてV3だ。安易で無邪気な属性の弄びやドストレートな下ネタはこの際どうでもよい。このころ私はダンガンロンパという世界を受け入れていたのであり、その世界の倫理的な常識を無批判に受け入れていた。この世界で起こる理不尽はコロシアイを含めてダンガンロンパ世界の内に必然性があると考えていたからだ。

 

しかし、違った。フィクションはその殻を破って現実にその必然性を迫ってきた。ダンガンロンパにおけるコロシアイは、ダンガンロンパの世界に原因があるのではなく、現実世界に「コロシアイが求められるから」という身も蓋もない資本主義的な理由が原因とされた。

 

ここで自分自身に対して批判が思い浮かぶ。それは「初代と2でプレイヤーと主人公の言動の一致という、現実とフィクションの重なりを楽しんだくせにV3は否定するのか」というものだ。

 

しかし、考えてほしい。フィクションはフィクション世界の中に必然性が収まっているからこそフィクションなのであり、そこで殻を破って現実世界に原因を持ち込んでしまったらそれはノンフィクションあるいはもう一つの現実世界になってしまう。これの何がマズいのかというと、端的にジャンルが変わってしまうのだ。『ニューダンガンロンパV3 みんなのコロシアイ新学期』はこれまでのダンガンロンパと違ってノンフィクション作品になってしまう。

V3だけがノンフィクション作品だったというのならそれでもかまわない。実際V3をプレイしているときの私はこの結末に納得していた。しかし、このコロシアイの原因が現実世界にあるという新情報がV3だけでなく初代、そして2にも適用されることに気が付いたとき私は賛否両論の否の側に回った。

 

ダンガンロンパというシリーズの中には必然性がなかった。というかあってもなくても良かった。苗木誠の希望に、ナナミの犠牲に込められた純粋さは、「外からの思惑」によって奪われてしまった。

 

フィクションをフィクションとして楽しむことが不可能になってしまった。最原は言った。

 

「何が真実で何が嘘かなんて関係ない。何がフィクションで何が現実なんか関係ない。”真実”で世界が変わるように、”嘘”で世界が変わるなら…」

 

ここで言う”変わる”とは何だろうか。私は変わると一口に言っても、そこには二つの方法があるように思われる。「間接的に影響する」のと「直接的に干渉する」のふたつだ。

 

先の批判に戻ってみよう。(「初代と2でプレイヤーと主人公の言動の一致という、現実とフィクションの重なりを楽しんだくせにV3は否定するのか」)

 

プレイヤーと主人公の言動の一致とはダンガンロンパというフィクションがフィクションとして収まっているうちは「間接的な影響」に分類されるだろう。なぜならプレイヤーという現実はダンガンロンパ世界の蚊帳の外にあり、最後の選択がたまたまインタラクトとして成立したのに過ぎないのだから。

 

しかし、V3の提示した真実は「直接的な干渉」だ。現実世界という一つ上のレイヤーを可視化し、そこから直接ダンガンロンパ世界全体が影響を受けていることを示す。その結果ダンガンロンパというフィクションはフィクションでいることが不可能になった。この変化は不可逆だ。

 

いくらV3で提示された外の世界がまるっきり嘘だったとしても、批判され提示された現実世界がプレイヤーにとっての現実世界と重なることに変わりはない。「希望を見せてしまうからこそ、コロシアイは続いてしまうんだ」という最原のセリフに偽りはない。

 

V3の提示した真実によって初代と2がもはやフィクションであり続けることはできない。現実世界と干渉しないフィクションとして完結していたからこそ彼らの言動に嘘はなかった。現実の私たちはレイヤーの違うフィクションの彼らと偶然、奇跡的に、すれ違っただけだったからこそ、そこに嘘はなかった。しかし、それは「直接的な干渉」によってもはや成立しなくなった。私たちは意図的に、必然的に交わっていたのだ。私はそれがひたすらに悲しくて、むなしい。