1976年に公開された元祖Carrie、米国で高い評価を受け原作者のスティーヴン・キングが
「私の作品にもっとも忠実に映像化されている」と漏らした作品。エンタメ好き()としてはとりあえず
視聴しなければと思うも初代キャリーを演じたシシー・スペイセク(当時24歳)が18歳を演じるには
余りにも無理があり演技が迫真過ぎて怖いので日本では昨年11月に公開された“新生Carrie”の
視聴に至りました。別にKick Assの時から見守り続けてるクロエちゃんが主役だからとかは関係ない。
※ネタバレ・グロ注意
冒頭でネタバレ有りと書いたものの物語を通しての流れは既にあらすじであらかた押さえられています。
視聴者が思い描いていた通りに進むだけなので意外性もクソもなく少し残念でした。
“いじめられっ子が超能力に目覚めて…”とかフワフワした感じでお願いします。
導入部は人付き合いが苦手な少女キャリーは体育の授業後のシャワーで初潮を迎えるも
この現象を知らなかった彼女はパニックに陥り酷いいじめを受けるといった感じ。いじめの主犯は高校生活の
最後において最高のイベント、プロムへの出場を禁止され一方的にキャリーに恨みを持つようになる。
いじめグループの一員であるスーは罪の意識を覚え彼氏にキャリーのプロムの相手をして欲しいと頼む。
流れるような単純明快な出来事の連続。その間を挟んで主人公であるキャリーは自身の特別な力に
気づいていく。また一方で視聴者は母親の狂信的なまでのキリスト教信仰を垣間見る。
そこからの流れはあらすじでも描写されている通りフロムでキングとクイーンに選ばれるもいじめの主犯による
逆恨みを受け事故ではあるが彼が死亡。感情に任せて力を振るい会場は虐殺による阿鼻叫喚に包まれる。
復讐をとことんやり尽くしたキャリーは家に帰るも以前から警告を重ねていた母に襲われ逆に殺してしまう。
キャリーはこの世から消え最後に止めに入ったスーが妊娠する夢を見る、というところで物語は終わりを迎える。
この映画を見た妹は“あのイジメっ子が悪い…”と言葉を漏らしていました。
確かに表面上だけであの物語を見ればそんなことは明白に分かるわけですが本当にそれだけでしょうか。
キャリーの母親は“悪魔は何度でも生まれる、だから何度も殺さなくては”と漏らしています。
結果としてスーは悪魔の子を孕みそして産むことになるでしょう。この“罪”の原点を考えると
“キャリーの母親が快感に身をゆだねたこと”に落ち着くわけですがそれは後世に残すべき
罪なのでしょうか。キャリーの母親は降りかかる“女性の罪”からキャリーを守ろうと奔走します。
例えば初潮の存在自体を教えなかったり肌の露出を避けさせたり…etc
これらは本当にキリスト教に定められた教えなのでしょうか、少し調べてみましたが資料自体が見つからない。
時代や宗派が違っているのか“イエス・キリストの贖いによって罪から解放され、清くなり、汚れなく、
神聖になる”というキリスト教を支える根本さえ怪しい言動となっています。
自分の知識不足でこのようなただの問題提起になってしまいました。もうひとつ考えられるのは
キャリーの母親はキャリーを人間の女性としてではなく“悪魔の子供とみなし身の汚れによって
悪魔と化す”ことから守っていたということ。こちらも“キリスト教の悪魔”という観点で調べたのですが
めぼしい情報はありませんでした。結局ふわふわした考察とも呼べない日記になってしまいました。
本当は格キャラクター達がキャラクターとは別の何かもっと大きなものを象徴しているとスタイリッシュに
まとめようと思いましたが力不足だったようです。キャリーの母親が信仰しているのものが何なのか
ハッキリとはわかりませんでしたが何となく映画「薔薇の名前」にて描写される笑いを禁じた修道院を
思わせる気がしないでもないです。
クロエちゃんが可愛すぎていじめシーンが辛かった
ではまた~
追記
母親は快楽としての性を否定するピューリタンということでした。
そうなると母親はキャリーをピューリタンとしての悪魔とみることになりそうですが
やはりそんな文献に書かれてること云々と言うより実際はもっと単純なもので
“Carrie”は悪魔の力を宿したいじめられっ子とそれ故に狂信に至った母親の物語という
非常にシンプルな形に収まりました。自分のキャラクターが何かを象徴している~
という考えは特に意図されずに作られたようです。頭を空っぽにして見よう。