今作について書いた前回の記事が約2年前のものとなっており、どんだけ積んでたんだお前、という感じですね。読んでみたところゲームの紹介や感想の大筋は現在と変わっていなかったので割愛。
それじゃあ何を書きに来たんだ、今回書くことは以下の3つ。
「移動における自由度Maxの結果」
「キャラクターのパワーダウンに伴うギャップ効果」 ※ネタバレ有
「キモいスパイダーマン」
と考えていたが当初よりも一項目が長くなってしまったので他2つは短縮して書きました。
アメイジングスパイダーマンは実に自由に街を飛び回る。映画「トゥルーマン・ショー」の照明落下シーンにおいて天井が示唆されるようにスパイダーマンも天井に糸でぶら下がるかのように移動する。極めつけは指定した場所に重力を無視し自由に移ることもできる。
そして、その移動スピードには必然的に「広い舞台」が必要とされ、「広い舞台」の作成には「薄い密度」がこれまた必要とされる。
この様式は今作にも適用されている。ほとんどの建物には入れず住民も街の機能も単純極まりない動きを繰り返しているだけだ。
しかし、今作はその弱点をいわゆる「劇場型ゲーミング」という形で利用した。
「劇場型ゲーミングとかなに新しい単語作っちゃってんだ」と思っている方が多くを占めていると思うので順を追って説明する。
我々がゲームにおいてキャンペーンなどを進めるというような「メインのプレイイング」をするとき、その舞台となるものはステージであったり、使用できる武器or能力であったり少なからず選択肢が限定されているとは言えないだろうか?これが先ほどの「劇場型ゲーミング」に対をなす「箱庭型ゲーミング」であるとする。
それならば「劇場型ゲーミング」とはなんだろうか。それは「メインのプレイイング」においても何の制限もされずにプレイすることが可能であるゲームの形式であると考える。今作においてはそれが「自由な舞台に現れた飛行マシン」や「一部のボス」として登場する。
つまり「普段スゲー移動能力で飛び回れる舞台に、その能力をフルに使って戦える敵が出てきた」ということになる。この体験が普通のプレイイングに比べて非常に優れていたので、その構造と区分を理解するに当たって長々と説明をさせてもらった。
しかし、このプレイイングを構成するにあたっては利点よりも「メインを含む全体としての単純化」という見逃せない弱点が存在する。
だがなぜ今作については、この形式が違和感なく実現できたかというのは冒頭で述べた通り「薄い密度の舞台」という弱点を利用したからに他ならない。確かにメインで使用するには薄すぎる舞台だがミニゲームのようなボス戦に利用することは特別な意味を付加する。
本当に分かり難くなってしまったのでスカイリムで例えると「鍛冶やら寝泊りやらしていた村にドラゴンが急襲してきた」感覚に近い。
キャラクターのパワーダウンとゲームという媒体の親和性
題名で察せられたとは思うがスパイダーマンは終盤で体内にナノマシンを注入されその超人的なパワーを失うことになる。
自分の目線の数百倍もの高度を自由自在に移動していた彼が一般市民同様に街を駆けずり回るシーンは体験をともにしていたプレイヤーからすれば中々に感じ入るところがある。
ゲームという媒体はキャラクターとの距離を近づける事(主観に近づける)ができるものだという事が再度実感できた良い演出だった。
逆に映画であれば「パワーをなくしても敵へ向かっていくスパイダーマン」と客観的に見ることができる。
キモいスパイダーマン
クリア後に解除されます。必見。