「The Last of Us Part II」の世界 But no traces of violence

この記事では『The Last of Us Part II』のスクリーンショットを撮影した順番に紹介していきます。いわばこれは僕個人のTLoU 2プレイの軌跡であり、エリーの日記帳のような記録でもあります。ただしこの日記には日本語版特有の表現規制によって決定的に「暴力の痕跡」が欠けています。
銃を発射してもそこに残るのは綺麗な死体だけで、死体になるまでの過程は奪われています。それが「復讐」をテーマにした今作に大きな影響を与えていることは否めません。表現規制が作品の信念を歪めているといっても過言ではありません。
表現規制はどんな愚か者にも可能な安易な方法です。やめようね
https://www.jp.playstation.com/cse/ (SIEアンケートフォーム)
さて、ここからスクリーンショットに一言コメントを添えて旅を振り返っていく。当然スクショとスクショの間には画像に捉えられなかった展開があるが、そこはプレイした人間だけが持つゲームの記憶で補っていってもらいたい。

プロローグ 前作主人公ジョエルを操作
馴染み深いあのギターを持っています

操作キャラクターがアビーに エリーがナイフを使うのに対して、アビーは筋肉で首をへし折ります




最も良く撮れたと思っているスクリーンショット こう撮るように開発に促されているには違いないが



一つ一つのオブジェクトに積雪が適用された(ように見える)様子 この作品の異様な作りこみ具合が伺える


墓参り この間あまりに壮絶すぎてスクリーンショットを残せていなかった 記録としては不完全だが、かえって当時の心象は察せられる

旅の始まり 現実味のないファンタジーのような森を通り抜けていく





復讐の出鼻をくじかれる 画作りがあまりにも天才 死体が風景の一部と化している


何もない場所でしゃがむエリーに微笑むディーナ 見返してみると良い写真だ


この複雑な地形がゲーム上では一つのマップとして成立しているのがクリアした今でも信じがたい

人間の体が宙に浮いている様子、それは普通ジャンプなどの躍動であり生の象徴そのものであるが故に、このような例外を見せつけられると思考停止してしまう

再び復讐に失敗する 思えばエリーは自分の手で復習をすることに何度も失敗している。エリーにとってはフラストレーションの溜まる展開だ





顔面に銃弾を食らい「前が見えねえ」で済むこの世界は実は夢ではないか、と明後日の方向に考察が飛ぶ






ジェシーと二人で出発 これは泳ぐときに掻き分けられる藻の表現 実際に操作してから見ると意外とすごい





アビーがWLFを抜け出して水族館へ向かう 露骨に場面が飛んでいる これは上下に入り組んだ複雑なマップ。このスクショの中だけでも独立した3つの部屋が一画面に映っている


水滴の下で屈んだ様子 水がはねる表現にいちいち感動する それにしてもほとんどランボーのような姿だ



高所の表現でさえTLoU 2はこれまでにない次元に到達している プレイヤーでさえ思わず足がすくむ





時には文化の規範にそぐわない人間が集団の内に出現する。そこで文化を変えるのか、規範にそぐわない人間を排除するのか集団は迫られる。あるいは規範の外にある人間を特別な人間として特殊な役割を与える場合もある。セラファイトは排除を選んだ。

すべてのCultureは他の文化から見ればCultに過ぎない。セラファイトをカルトと呼び殲滅するWLFも、セラファイトから見ればカルト集団だ。そして無我夢中に戦い合う両者を眺める二人は各集団の規範から外れたことで外の視点を獲得する。




再び復讐へ 終わりそうな雰囲気を出しておきながらこの物語は続いていく。
これを蛇足と見る向きもあれば、復讐の本質を突くと考えることもできる。
プレイヤーは無力感を感じながら、ただ見届けるだけである。


エリーは「終わらない」と悟ったのだと思う。ジョエルを赦したいと思いながら赦せない自分と、終わらせても終わらない復讐を重ねたのだと思う。それは赦しという崇高なものではなく諦めに近い気づきだったのだ。ジョエルが残したギターが弾けなくなってしまった。復讐は終わらないだけでなく失わずに済んだジョエルの形見さえ奪っていく。そういった絶望的な悟りをエリーは最後に得たのだと思う。
以上50枚以上のスクリーンショットと2500文字程度のコメントで僕のTLoU 2を振り返りました。スクショを見直すことで様々な考えや思いが頭を巡り、TLoU 2のプレイ体験が非常に豊かだったことが証明されたような気さえします。