Game Mediation

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Homefront The Revolution 疎外されたプレイヤーと監督の誕生

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お久しぶりです。なんだかんだ半年ほど引きこもっています、2020年はすごい年ですね。本当にいいニュースが藤井聡太さんが棋聖になったくらいで、聡太しか勝たんという感じです。久しぶりの記事は「Homefront The Revolution」について、ネタバレありです。

疎外されたプレイヤー

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Homefront The Revolutionにおいてプレイヤーの分身であるブレイディは、一貫して主人公になることが出来ない。レジスタンスの主要人物が作戦を練り、プレイヤーが実行する。いわば司令官と雑兵との関係である。主人公は「わざと逮捕されて敵の懐に潜り込む」というような無茶な作戦に、当事者であるにも限らず一言も文句を言わずにただ実行する。それはゲームプレイ部分だけに限られず、ストーリーにおいても共通している。

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例えばTV局を乗っ取って市民を革命に扇動するシーンは、一番の見せ場であるのにもかかわらず、今まで作戦基地で頭の悪い作戦を垂れ流していたこの男を英雄足らしめるシーンになってしまう。それではプレイヤーは、実際に街を解放し、革命を実行している真の英雄はここで何をしているのか。カメラを回してるんです。決して画面に映らない外側でこの男の動きを一生懸命に追っている、泣けますね。

このようにプレイヤーがゲームを進めるのにも限らずストーリーからは全く疎外され続けることで、今作Homefront The Revolutionに対する不思議な作用を生じさせます。それはエンディング後の満足感が不思議と高い、ということに結実する。なぜか。

後方監督面

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今作はもともとのパブリッシャーであったDeep Silverが倒産し、IPが売られたCrytekも業績不振になったりと開発が難航した作品です。そのような背景もあってかゲームプレイの質自体は、間違っても高いとは言えません。画像の通りマップに穴があって異世界に行ってしまったり、ステルスがやたら難しくてうまく機能していなかったり、そもそも同じことの繰り返しでつまらなかったり、進行不能に陥るバグも未だに存在します。

それでもこの作品を終えて満足感を感じたのは消費者であり主人公であるはずのプレイヤーが、ストーリーにおいて総スカンされるという現象によって「今作の監督」のような位置に立場を変えさせられたからなのではないかと考えます。今作におけるプレイヤーの扱いは上述した通り本当にひどいもので、とても「主人公」や「お客様」のような扱いは想定していない。

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それでは今作におけるプレイヤーとはいったいどんな位置を占める人間なのか。それはTV局のシーンにも重なる通り、プレイヤーは主人公を演じる役者なのではなく、画面の外側に腕を組んでウンウン言ってる撮影者の側の立場にいる。作品を実際に進行させるのは監督であり、撮影が終わった時の達成感はひとしおだろう。この達成感がゲームをクリアしたときの謎の満足感であり、作品のダメな点にも目をつぶれてしまう理由なのではないかと考える。馬鹿な我が子をそれでも愛すのです。

まとめとしては、この視点の転換がプレイヤーを監督に変えるということですが、もしかしたら僕がこの作品を好きなだけかもしれません。このめちゃくちゃなストーリーには愛着すら感じます。

新鮮な画

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いいビジュアルです。「Kに侵略されたUSA」なんて題材はめったに見られないんじゃないでしょうか。面白いです

武器まるごと換装システム

今作の愛すべき点の一つ