Game Mediation

PCゲーム、3DCG、哲学など

ゲーム空間内の空白の時間 『Paratopic』

何もしない時間というものが年々減ってきているように思える。だがそれは強いられたタスクが山のように積み重なっているから、というわけではなく、自らスマホを用いて必ずしも重要でない情報の収集に奔走しているからだ。動画、画像、文字、あらゆる媒体を用いて私たちは何もしない時間の存在を抹消することを試みている。

 

しかし、ふとした時全ての手を止め、目をつぶるとそこに何もない空白の時間が表れることに気がつく。そこで浮かぶのは普段決して思い付かない新しい自由な発想だ。一番良いアイデアが浮かぶのはシャワー中だ、というのもこの空白の時間の例に当たるのだろう。この文章も風呂に入ってぼーっとした時に思いついたものだ。

 

そんな「何もしない」をする空白の時間をゲーム内で過ごすことは可能なのか、そして可能ならばそこでどんな考えが浮かぶのか、という疑問に『Paratopic』が答えてくれる。

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『Paratopic』とは

•悪夢のような残酷な夢の世界を旅する、物語主導のホラー風アドベンチャーゲーム。―Steamストアページより

である。現実と妄想の区別がつかないカットシーン、奇妙な会話、不気味なグラフィックなど語るところが多い短編作品だが、ここではその短いプレイ時間の中でも多くの時間が割かれる空白の時間に焦点を当てて語っていきたい。

 

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そもそも現実とゲーム、それぞれの空白の時間は性質が異なるのか?という疑問がある。答えは当然イエスだ。というのも現実とゲームの世界では空白の時間が生まれる文脈がまるで異なるからだ。そもそもの話になるが現実の空白の時間に浮かんでくる自由な発想というのは実は完全な自由ではない。その時の周りの状況(風呂なのか電車なのか)、昨日何の映画を観たのか、最近よく眠れているのか。こういった文脈によって自由な発想の幅は制約を受けていることになる。

 

ならばゲームでの空白の時間はなおさら制約されている、ということができるだろう。なぜなら自由な発想を縛る文脈は自分の行動ではなくゲーム側が決定しているからだ。さらに、そもそも私は誰なのか、ここはどこなのか、という根本的な点までその制約が及ぶ。

 

それではそんな制約の大きいゲームの中でも殊更『Paratopic』の作る空白の時間はどのようなものなのか見ていきたい。

 

画像のようにプレイヤーは車の運転を任される。自分以外の車は一台も通っておらず、高速道路だからなのか信号も存在しない。車は自動的に前に進むようになっており、プレイヤーが操作できるのは視点の移動と車の左右の操作、そして2局しかないラジオのオン・オフだけだ。

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これは一見すると映画のワンシーンのようにただ眺めていればよいシーンに思える。しかし、ひとたびキーボードから手を外し車を進むがままに任せるとガードレールに激突してしまい車体が揺れる。別にスピードが落ちるわけでも、ゲームオーバーになるわけでもないがただ不快な気分になる。

 

最初の軽い事故の経験によってプレイヤーは車の操作に取り掛かることになる。しかし、変わらない景色、つまらないラジオ、そしてどうもこのシーンが長尺であることをプレイヤーが理解するとき、ゲームプレイは半自動的な作業となり、ここにゲーム空間内での空白の時間が生まれる。

 

1つ目の疑問、「ゲーム内で空白の時間を過ごすことは可能か」に対する答えはイエスである。

 

それでは2つ目の疑問、「そこでどのような考えが浮かぶのだろうか」に移りたい。実際に私が起こした行動は「寝落ち」だった。期待に沿えない平凡な回答に見えるだろうか。「それなら映画の寝落ちと変わらないだろう」という反応が予測されるが待ってほしい。

 

私は20云年間ゲームをやっていて寝落ちをしたのはこれが初めてだった。それどころか記憶に残る限り寝落ちをしたことは人生の中で一度もなかった。これだけで『Paratopic』をプレイする中でした寝落ちがどこか特別なものだったことが分かる。その特別さはゲーム内で車がガードレールにぶつかったときにより鮮烈なものになった。ゲーム内で車体が揺れた時、そのサウンドはヘッドフォンを通して私の耳に届き、浅い眠りを覚ました。そこで認識したのは自分が起こした事故であり、罪悪感、焦燥感といったリアルな感情だった。

 

現実の私は自室で水筒に入った水を飲みながら、座ってキーボードとマウスを操作している。これは『Paratopic』でも『Apex』でも変わりはない現実の制約だ。しかし、ゲーム空間の制約を見るとその様相は大きく変わる。『Apex』での私は常に敵が現れる緊張感にさらされており、寝落ちする隙などないが、『Paratopic』での私は退屈極まりない状況に立たされている。

 

このゲーム内の制約が生んだ空白の時間が現実の私の寝落ちを誘発し、さらに続く仮想の事故を私にとってリアルなものとして感じさせたといってもいいだろう。この仮想と現実の行き来を可能にしたのが現実のそれよりも制約が大きいゲーム空間内の空白の時間である、というのがこの記事の主張だ。

 

昨今現実と仮想世界の境界線の融解というトピックが様々な角度から論じられている。それはVRなどの新技術が橋渡ししているところも大きいが、そういった技術的な橋渡しではなく、東洋思想よろしく無という概念が空白の時間という形を取って現実と仮想の越境に一役買っていた、というのをここに残しておきたい。

 

また大胆な空白の時間の存在をプレイヤーに許させる作りになっている『Paratopic』の特異さもここに付しておきたい。普通ゲーム内の空白の時間はネガティブな要素であり、プレイヤーがゲームを止めるのに十分な動機になり得るが、この作品はそれを許さない強力な引力を備えている。「寝落ちしただけやんけ、ワロタ」という人はぜひ一度プレイしてもらいたい。

 

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