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『SLUDGE LIFE』 消費主義に上書きされる社会への反抗

『SLUDGE LIFE』は島を自由に探索するオープンワールド形式のアクションゲーム。

 

キミは新進気鋭のストリートアーティスト「GHOST」となって、仲間の「MOSCA」と一緒に街のいたるところにグラフィティを残していくことに。
自分の地位と名声を示すためにヘドロに覆われた島を歩き回ろう!

ーSteamストアページより

 

 

プレイヤーは島を歩き回って街のあちこちにグラフィティを残して回る。正直私はこの文化への理解が十分ではない。ストリートアーティストという存在がどのような主義主張を持っているのか分かっていない。

 

しかし、街の景観を不法に自分のグラフィティで上書きするという行為に、社会への反抗という主張を読み取っても的外れではないだろう。島には他にもストライキする労働者や薬物の摂取など様々な形で社会や権力へ対峙する姿を見ることができる。

 

一方でプレイヤーを含む島の住人は消費に明け暮れている。ジュースを飲み捨て、タバコを吸い、ドラッグをキメてテレビを凝視する。プレイヤーとしてもジュースは際限なく飲むことができ、タバコも拾っただけ吸うことができる。

そして、それらはおそらくCOOLな感性を基に描かれている。飲み終わったジュースの缶は心地よい音とともに潰され捨てられ、吸い終わったタバコは吹き捨てられる。所持しているはずのカメラやグライダーが使用されるたびに捨てられる印象的な表現には、大量生産大量消費を無批判に受け入れる考えがにじみ出る。

 

だがこれらの消費活動・消費主義とは他でもない社会や権力が供給しているものだ。だから島の住人は社会や権力に反抗しながらも、その生活のレベルでは社会が供給した消費財をクールな感性として享楽的に消費している、という矛盾の中にいる。自分が反抗しているものにある場面では加担してしまっているのだ。

 

社会や権力によって構築された街の景観を上書きする主人公(プレイヤー)のストリートアーティスト活動もまたこの矛盾の中にある。もちろんこの行為は刹那的な楽しさや征服感をもたらす。街が自分のテリトリーであるかのような錯覚を起こさせる。

しかし、権力者は変わらず街の一番高い場所からすべての人間を見下ろしている。主人公がいくら街を自分の色に塗り替えようが、主人公の生活は権力が供給するものに囲まれていることに変わりはない。この事実を示唆するようにこのゲームのゲームプレイには楽しさと同時に圧倒的な虚しさを感じる。街をグラフィティで上書きし使い終わったスプレー缶を投げ捨てるその瞬間に消費という事実が現れ、書き終わったグラフィティが権力に上書きされる。

 

このことを直接表現しているのが各エンディングの内容だ。グッドエンディングでは主人公はオートパイロットの乗り物に乗って島を脱出する。バッドエンディングでは島を吹き飛ばす爆弾を起動し、3つ目のエンドでは幻覚の中で理想の世界を見ることになる。

 

いずれもこの世界からの逃避であり、根付いた生活と反抗が起こした矛盾から逃げるには自身の一部である島を切り離すしかない、という虚しさがあふれる結末になっている。

反抗するべき対象が自分の中に生活レベルで根付いているという、環境的な「悪の内在」とも言えるこの状況をひょうひょうとしたタッチで描いたこの作品のセンスには脱帽。硬く分かりにくい文章でしか何かを表現できない自分としては、してやられた、というさわやかな敗北感を味わった。