Game Mediation

PCゲーム、3DCG、哲学など

ゲームレビューのグルメレポート化 「信用するべきでない小言」

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元々“レビュー”という形式自体はっきりした定義がないまま浸透したこともありますが、大まかに言ってしまうと“感想、評価”辺りが妥当ではないだろうか。ここではレビューをそんなフワフワした感じの理解のまま進める。

最近自分の中での“ゲームのレビュー”に対する信用が落ちてきている。

というのも映画や本など「全てに目を通す」ことがレビューの前提として存在し、まだ信用するに(参考にするに)値する対象であるのに対してゲームはと言うと料理を一口二口食べた後、感想を述べる聞き流すべき「グレメレポート」であることが大半である。特に最近はスマートフォンTwitterの組み合わせにより「一口レビュー」が気軽に発信できてしまい膨大な量が横行している。(しかも殆ど叩かれない)

※「グレメレポートは一口二口で全てを把握するのだ」という反論がお有りかもしれないが量、後味、その料理に合う組み合わせ…など評価を左右する要素は数多く放置されてしまう。

さて、ではこの「一口レビュー」の何がそんなに悪いのかと言うと前半で示唆した通り「少しプレイしただけのレビュー」であり評価に必要な要素の多くが欠けているということである。

例えば「Super Hexagon」を10分プレイしスコア5.36秒を記録した人間がTwitter(フォロワー100人とする)で「Super Hexagonなんだこれ、クソゲー」と呟いたとする。ここでそのツイートを受け取った人間の内の大半はSuper Hexagon=クソゲーという意識を持つ。他の人間からSuper Hexagonの話を聞いたものはプレイ映像を見てみるが、やはりよく分からない。ここで100人の中でのSuper Hexagonは終わりである。

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↑「一口レビュー」は上の画像を見せられるだけの行為に等しい


これはユーザーにとっても開発者にとってもマイナスな流れである。分かり易い指標を示すと「実況プレイに向いていない」ゲームは総じてこの不利益を被る。

結局何が言いたいんだお前は、という話になるのでそろそろ纏めるがゲームにおけるレビューは発信者ではなく私たち受信者の意識を変える必要がある。即ち「当てにしてはいけない」と。

これだけで癖の強い最近の作品は救われると、そう思う。